amaneのブログ

思考を整理整頓するための場です。

おわりに

 

 

 何を書いて、何を書かないか、ずっと考えていて、この文章も書いては消し書いては消していますが、やはりあまり深く考えず書くことにします。

 

 言葉ではなく文章として改めて自分の考えを組み立ててみて思うのは、一貫してあまり分からないような文章をずっと書いていたように思います。(これ…読んでも絶対伝わらんだろうな…と思いながら載せた文章も、ままあります)

 自分の内側を吐き出しさらけ出すための文章ではなくて、自分のどこまでを見せて、どこからを見せないのか、そういう”相手”を意識した駆け引きやせめぎ合い的な要素があって、このブログは自分にとってとても面白い体験となりました。

 

 一応このブログはここまでで一区切りとなりますが、あともう一つ、残した記事を最後に載せて締めさせていただきます。

 

 ここにある文章を読んでくださった方へ、ありがとうございました。また会えることを祈ります。

 

 

2020/12/15 木谷天音

 

名無しと名前

 私がもしもあなたのために腕を切り落としたら、あなたは私のために腕を切り落としますか。

 私があなたのためだと言って切り落とした腕と同じくらい、ときに人の心や情というものがすべて重く苦しいものになるときがあることを理解していますか。

 自分が差し出すものは、当然のように相手から差し出されるべきですか。

 自分が身を切って心を差し出せば相手も身を切って心を差し出してくれますか。

 相手のことを好きなれば、相手も私を好きになってくれますか。

 
 そう思いたいと思う心をもっていることも紛れもない事実です。だって好きな人が自分を嫌っていたら悲しいからです。それでも相手が何に感謝を感じ、何に対して身を切り心を差し出そうと思うのか、そして何に憤るのか、そういうものから目を逸らすことは相手に対して最も不誠実であり傲慢な、思い上がった行為だと思っています。

 自分の思い通りにすべてが返ってくるのは上辺の社交辞令の世界だけで、本当に一人の人間と向き合うとき、きっと思い通りにいくことなど何一つないと思っています。

 だからこそ、人と言葉を交わし目と目を合わせることは面白いです。

 

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先生

 恩師、というとたくさんの人の顔が思い浮かびますが、先生、というと一番に口をついて出るのは、高校の美術顧問の先生です。

 

  私が高校のとき所属していた美術部は、よく「動物園」と外からも内からも呼ばれていました。

 みんな冗談半分で笑いながら言っていましたが、改めて思うと本当に的を射ています。

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嫌いなまま好きである

 愛されることよりも愛することのほうが難しくて、恵まれたことにこういう自分でも愛してくれる人が世の中にはきちんといてくれて、そういう人たちが自分へと愛情を伝えてくれます。例えばそれは直球ストレートだったり遠くから届くあたたかさだったり、皮肉や意地悪だったり、本当にさまざまですが、それらはとても誠実で真摯なのです。

 

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空間のあり方

 あたたかな午後の教室で心地の良い先生の声とチョークの音をじっと聞いているとどうしても眠くなる。眠くなって、極限まで眠くなると、ふっと糸が切れたみたいに知らないうちに夢を見ている。そういうとき見る夢は大抵明確でしっかりとした映像をもっていて、でも、何かの拍子にそれが夢だと気づくと一瞬のうちにすべて消えてしまう。
 こういうとき実際眠っていた時間はほんの数秒であることがほとんどだった。


 ほんの数秒が長い夢となる。一番長かったのは、一生の夢だった。なぜそうであると分かったかは分からないけれど、湯船の中でパッと目覚めたとき、今、自分が生まれてから死ぬまでを、一つの人生を夢に見ていたと、はっきり理解したことがあった。

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