芸術とドラッグ
自分の恋心が
それからいくらか経ち楽しく中学生活を送っているとき、はたと自分が定期的に入
こういうことは今になって思い返してみればこそ思い当たる節が多々あるけれども、あまり恋愛ごとのゴタゴタには巻き込まれないように人生
私は自分を見つめるとき周囲の人物との対比で見つめることが
姉は私とは対照的に一途な人でした。恋愛でも、なんでもかんでも。
こういうと変ですが彼女は多岐で器用な一途さを持っていました。大体一
そうやって割り切って考えていく中で私はずっと、どうして自分は一人の人をずっと好きでいられないのか、問い続けていました。
自分の歩くところには風向きがあって、それによって付き合う人も変わっていきます。
風向きが変われば立場も状況も心境も変わるし、求めるものや欲しいと思うものも変わっていく。だから、違うものをくれる人のところへ移っていく。自分は常に自分の状況をしっかり理解して色々なものを選択していかなくてはいけません。だから人も選択していく。その時その時の自分の状況と目的に合った人と親交を深めて、また状況が変われば別の場所へ移っていく。戻ることもあるし、もう二度と戻らないこともある。不誠実だと言われてもそういう生き方しかできないし、無理して変える必要もないと思っています。
でもそういう自分だから、ふと、どうして私は絵を描くことを選んだのだろうかと立ち止まることがあります。思えば小さい頃から絵を描くことは好きだったけれど、それも他のものと同じ枠から出ない「好き」だったはずです。私には好きなものがたくさんあって、どれが一番かと言われたら答えられないけれど、それらが確かに好きで、興味があって面白いと思うことに間違いはない。なのに、どうして一番を選べない私が芸術を選んだのか。
もし私が絵を描く前に薬物と出会っていたらきっと薬物中毒者になっていただろうとよく思います。大麻でも覚醒剤でも、タバコでもいいのですが、芸術にハマるメカニズムは薬物にはまるメカニズムとよく似ています。
苦しいことは確かにたくさんある。けれどあんなどん底の苦しみを味わったことは作品をつくるとき以外では記憶にありません。そして、その苦しみをすべてかき消すほどの快感を味わったことも、作品をつくるとき以外で味わったことがありません。
もしかしたらこの選択は実は選択ではなくて、ただの中毒症状なのかもしれません。けれどもしそれこそを「好き」であるというならば、私は確かに絵を描くことが好きで、私は好きだから芸術を選択したのかもしれません。だから、私は芸術以上の苦しみと快感を与えてくれるものに出会うまでは、きっと芸術を好きでいるのだと思います。しかし同時にそんなものは存在しないことをすでに確信してもいるのです。