amaneのブログ

思考を整理整頓するための場です。

 二十歳の誕生日に、自分が養子であることを両親に告げられる・・・という感じのお話が、ある時テレビのドキュメンタリー番組で、母と姉と私の三人のお茶の間で流れていました。養子であることを告げられたテレビの中の主人公はその事実にショックを受け、悲しみに暮れていました。

  会話というほどの会話ではなく、番組を観ながらの呟きだったと思います。私は、もしも自分が彼(主人公)の立場なら養子である事実を告げて欲しいと思うし、親だったとしても必ず子どもに告げるだろうと言いました。ですが私のその言葉を聞いた母と姉は苦々しい表情をして、いや私は絶対に告げない、隠すからには最後まで隠し通して墓まで持っていくと言いました。

 当時の私はショックを受けました。この二人の反応にただ驚いただけでなく、突き放されたような寂しさや、痛いところを突かれたような、動揺があったと思います。だから私にはそのとき何の言葉も返せませんでした。しかし、このときから現在も私の答えは変わらずにいます。


 この会話のもっと前、私が小学5年生か6年生くらいの頃に、自転車が欲しいという話を母にしたことがあります。

 そのころ周りの子たちはみんな、カラフルでポップなデザインのものから銀色のかっこいい自転車(といってもごく一般的なママチャリ)へ買い換えていました。どこの家庭も中学生になるのに向けて買い換えていたのだと思います。そんな中、私は銀色ではない自転車に乗り続けていました。周りの子たちが同じような自転車に乗っている中で自分だけ違う自転車に乗っている、いつからか自分だけが周りからひどく浮いて見えて、子どもっぽく、恥ずかしくて、それで小学生の私は後先考えずポロリと母に、私も銀色の自転車が欲しいと溢しました。

 自分としては買ってもらうための交渉でも何でもないただのぼやきだったのですが、それを横で聞いていた姉が不意に、私ですら言わなかったことをお前が言うのか、と少し咎めるような、たしなめるような声で私に言いました。そのときの姉の言葉は鋭さをもっていて、印象的でした。母から返されるはずだった言葉が思いがけず姉から飛んできたので、驚いて、その直後自分の言葉を恥じました。

 そしてこういうことは一度だけではありませんでした。
 私は普段から何かを我慢することが少なく勝手気ままに人と付き合っている人間です。言いたいことと言うべきことは言う、この考え方に齟齬を感じたことはなかったし、私はずっと言いたいことを何も我慢することなく生きてきました。ただ、言う必要のないことと言いたくないことは言わないという考えも持っていたので、人と言い合いになったり喧嘩をしたりすることはありませんでした。
 そういう私とは対照的に、何でも言って何でも話す姉は母とよく衝突をしていて、喧嘩も時々していました。私から見える姉は、とても明け透けで、言わなくてもいいことまで言っているようでした。しかし、養子であることを隠すと言い、自転車が欲しいと言わなかった姉は、きっとそういうことは言えても、本当に欲しいものや言いたいことや、心に一番近い部分の言葉は容易に口にしてこなかった人なんだろうと思います。そしてそれは母も同じなのだと思います。でも母は姉よりも、言えなかった感情や思いに押しつぶされないようにするのがうまかったのかもしれません。あるいは一度や二度、ぺしゃんこに押しつぶされて、今の彼女がいるのかもしれません。だから姉は母と喧嘩をしていたのかもしれないと思います。


 相手のための嘘をつけるようになったとき大人に近づくのだと何かで読みましたが、それで言えばもうずっと昔から大人である人は大人であるし、私はずっと子どものままな気がします。

 嘘にはその人の性質…根っこ、のようなものが現れるのだと思いますが、子どものとき相手のために嘘をつけなかった自分は、つまりそういう人間で、自分を守るだけの噓しかつけないのなら、せめて嘘なく相手と向き合える人間でありたいと思います。
 自分の作品にだけは嘘をつかないでくださいと、去年の春、大学に入ったばかりのころに言われました。とても単純だけどとても難しいことだとも言っていました。本当にその通りで、とても難しいです。ちょっと油断するとすぐに嘘をついてしまいます。だから私は自分から嘘を一つ残らずなくしてしまいたいと思っていますし、そこに後悔はないと信じています。