徳
中学の授業について思い出していました。中学3年生の道徳の授業です。
「あなたには恋人がいます。自分もしくは自分の恋人が妊娠しました。産みますか産みませんか。あるいは産ませますか、産ませませんか」そんな問いです。
産む/産ませる と 産まない/産ませないの2つに分かれて議論をする授業でした。私のクラスでは、産むと言った女の子は2人、産ませると言った男の子は1人、それ以外の約30名は全員産まない/産ませないでした。私も、産まないと選択しました。
具体的なことはもうほとんど思い出せないのですが、苦々しさだけ
きっと私が作品をつくることは、突き詰めてしまえばエゴに過ぎな
他人の為だけで成立する何かは自分の中にはありません。他人の為だけで成立する夢も目標も優しさも親切も愛情も存在しません。人は行動を起こ
例えばもし、相手の為だけで成立する何かがあるのだとしたら、それは心と呼べるのでしょうか。私には、それを心と呼ぶには冷たすぎるような気がします。
もしもう一度同じ問いかけをされたなら何と答えますか。私はきっと誰のどんな決断にもどんな言葉も返せないのです。それが正しいかどうかを議論することに意味はありませんでした。死という選択肢がすべての人に与えられた札であるならば、幸運にもそれ以外の札を与えられた私は、精一杯その札を選びとれる人
やはり、私は私にとって死が希望にはなれないから、生が希望であると、
そんな眩しい綺麗事を、どこかでずっと信じていたいからなのだと、そう思います。